慣れと無力感を感じる毎日のなかで
東京は今週から、第4回目の緊急事態宣言が出ています。そして間近に控えた東京オリンピックの開催――。
ニュースでは、緊急事態宣言への“慣れ”への危機感を大きく問題視していましたが、誰もが「またか」と思う気持ちがあるのは確かです。開放的になれるはずの夏休み気分を一気に閉塞感でいっぱいにしてしまった今回の宣言です。
大きい小さいの違いはありますが、誰もが影響を受けながら、満たされない思いを抱える時期。少しでも気分を軽くする何かがなければ、やっていられないーーーというのが、正直な気持ちでしょう。
もちろん、私もその一人です。
コロナ禍になってからの毎日は、何かしらの心身的な不調を感じながら、どうにか気分を立て直して過ごしてきた人ばかりでしょう。
最初の頃は、明けない夜はないーー!という先は明るいという前提で、どうにか前向きになろうとしていましたが、さすがにそろそろ限界を感じます。
それもそのはず、2021年に入ってから半年、365日の半分(約180日)が過ぎて、そのうち120日以上が規制されている日々だったというニュース記事を見て、思わず「はぁ~」とため息が出ました。
自分で変えられこと、変えられないことの違い
「自分では変えられないこと」と「自分で変えられること」の2つがあります。
コロナ禍は一個人がどうがんばっても、「自分では変えられないこと」。
その違いをこれまで以上に認識して過ごすことが必要だと強く感じます。そのやり方次第ではありますが、「がんばれば、どうにかなる!」では、乗り越えられない時代なのです。
それがわかっている人、わからない人で、心身の負担を大きな違いが生まれているというのは、確かなのでしょう。
今一度、自分は川の流れに乗って無理なく進んでいるか? 全身の力を絞って流れに逆流していないか? それを考えてみる時期ととらえるのが良さそうです。
ちょっと抽象的な話になりました。
これは第4回の緊急事態宣言直前に、この春、東京を離れた友人の言葉の数々です。都心に生活する心身ともに疲れた私には、とても良い栄養補給となりました。
本格的な夏が始まり、緊急事態宣言はまだまだ続きますが、少しでも軽やかな気分の毎日を重ねていきたいですね。