半沢直樹がいないのが本当の銀行!?
令和時代の最高視聴率を記録したというTVドラマ『半沢直樹』の最終回。今は「半沢ロス」となっている、ビジネスマンも多いかもしれません。
前シリーズの最終回の視聴率40%超えだったとか。その記録は塗り替えられなかったものの、毎週、毎週、視聴者の半沢熱は、盛り上がりをみせていました。私も今のシリーズが初めてでしたが、録画でなくリアルタイムで見たい!と思ったドラマでした。
また、今の時代らしいSNSとの連動、Twitterでのつぶやきが、リアルな視聴者の声として、キーワードの話題性や突っ込みのポイントをついていて興味深いものでした。
ビジネス小説のベストセラー作家・池井戸潤作品は、まず、間違いなくドラマになってもおもしろい。『ノーサイド・ゲーム』『ルーズヴェルト・ゲーム』『空飛ぶタイヤ』などなど。そんな池井戸作品なので、人気が高いのは当たり前と言えば当たり前。
でも、ここまで盛り上がる理由は何かーー? と改めて考えてみました。
まず、見ていてすっきりする「正義の人・半沢直樹」。
某大手銀行の50代男性の話によると、「半沢直樹がいないのが本当の銀行」とのこと。
つまり、腹の探り合いと裏工作とドロドロした日常が現実世界であって、半沢直樹のような正義の人がいないのが、銀行社会、ということでしょう。と、私は解釈しました。
確かに、ここまですっきりやってくれる人は、現実にはそうそういるわけがないーーー。
幼い頃に夢中になったヒーローものではありませんが、正義の味方へのあこがれ、「いたらいいなぁ~」を具現化したのが、半沢直樹ともいえるのでしょうか。
コロナ禍前へのノスタルジー
「半沢直樹はマスクをしていないーー」。
TVドラマだから、と言ってしまえばそれまでですが、withコロナ時代の現在、誰も彼もがあんな表情豊かに話す姿を見ることはできなくなってしまいました。
香川照之さんの顔芸とセリフ回し、歌舞伎俳優の方々の大きな表情変化……どれもこれも「暑苦しい」という声もありますが、今のビジネスシーンでは見られない貴重なものです。
外出先では、ほぼマスクをはずすことがない現在。相手の口元を目にする機会が本当にありません。顔半分が隠れていることに慣れてしまい、逆に隠しているマスクのデザインや色にこだわるようになってしまいました。今では口元は、誰でも、どこでも、見られる部位ではなくなってしまったのです。
見えるのは目元が中心となるので、女性の場合はアイメイクに凝ったりもしていますが、口元の動きに比べると、目元の動きはそう大きくは動かせません。
人とのコミュニケーションをとるうえで、マスクをしていて口元が隠れているというのは、思っている以上に表情や思いが伝わらないものです。その分、いかに言葉でうまくつたえられるか? 「察してください」が明らかに通用しなくなっています。
「あぁ、口元が見えていた頃は……」
『半沢直樹』を見ていて思ったのは、口元が見えるコミュニケーションのとりやすさ。笑っていても口元が見えない現在、 私にとっての『半沢直樹』は、コロナ禍前へのノスタルジーの象徴のようです。