コロナ前は全てがよかった、と言い切れる?
「もう、コロナ前には戻れない・・・・・・」
ある女性誌を見ていると、この言葉が小見出しになっていました。「・・・・・・・」がその心境を表しているようで、ネガティブなニュアンスを前面に出しているかのように感じました。
確かに私も自粛期間中は、この上なくネガティブな思考になっていたし、いいことを見つけることのほうが大変に思えました。
東京の自粛解除から3カ月弱。8月のお盆明けの今週。この3カ月で思考も少しずつかもしれませんか、随分と変わっていることに気付きます。
3月末から緊急事態宣言発令までの時期は、テレビではイタリアで爆発的に感染者が増え、医療崩壊している悲惨な状況の映像を見て、アメリカ在住の友人からの電話では、「東京も大変なことになる」と言われて怯える日々。これこそ、先の見えない不安だったと、今になると思います。
仕事でもプライベートでも、人と会ったときに、必ず出てくるのが、「人、少ないね」という会話。「今までが多すぎたのだから、これくらいがちょうどいい」など(と言っていいのか、悪いのか?)という話になることがよくあります。
気付かされたこと、生まれてきた感覚
コロナ禍以降は、コロナ自体の感染も怖いし、病気自体への不安も大きい。メンタルへのマイナス要素もたくさんあるし、経済の落ち込みによる景気変動への不安は大きいし、何よりも自分の仕事の先の見えないことが一番、怖いーーー。
こうした不安、怖いという気持ちも強い一方で、コロナ禍によって、改めて気付かされたこと、生まれたものもたくさんあるように感じます。
「時間の自由」
→仕事もやることをやれば、自宅でもどこでもある程度の自由裁量でできる。決められた始業時間に満員電車で通勤する必要もなく、仕事が終わったのに終業時間まで仕事場にいる必要がない。時差通勤の奨励などによって満員電車の混雑緩和にもなる。
「個人の推奨」
→感染予防のため、とにかく「密」を避けるため、集団でなく個人での行動を推奨している。日本人は集団で行動しがちで、単独行動が多いと協調性がないと言われてがち。集団行動を控えることは、みんなで同じ動きでなく、個人行動が尊重される(と思う)。
「適正数」
→東京はやっぱり人が多すぎた。座席数と間隔を大きく開けたレストランなどは、余裕があって心地良さもある、というのがお客側の感覚。ここでは経営側視点には欠けているが、今まで混雑が普通だったが、心地良い数とスペースを知ることができた。
人がたくさんいて活気ある街並みに戻るのが一番かもしれないけれど、一度、感じてしまった心地良さ、自分の裁量でいかようにもできる自由度、これはコロナ禍前にはなかったことだといえます。
それを考えると、別の意味でも、「もう、コロナ前には戻れない・・・・・・」。